東京から離れて3年経って
先日、高校時代の友人とオンライン飲み会をする機会があった。
時代はオンライン、進学を機に日本中に散らばっていった友人がいとも簡単に集まる。いい時代に生まれたと思う。
全員が東京出身、もちろん話す内容の多くは東京のことだ。僕らが青春を過ごした池袋や学校のあった板橋の話で盛り上がった。
そんな飲み会が終わった後、僕の中でひっかかるものがあった。
「東京って何だ?」
東京は日本の首都、そんな辞書的な答えは求めていない。
離れてみてわかるが、東京という街は異質すぎる。灰色のオフィス街と緑の公園が混在する。一日中明るい歓楽街があれば、夜中は全員寝静まる住宅街もある。
僕の就職先は東京で、転勤も出向もない企業なので転職でもしなければ残りの人生のほとんどは東京で過ごすことになる。せっかくなので東京について考えてみた。
東京とは
1.夢を叶える場所であり、夢を諦める場所
2.何でもあるけど何もない場所
3.無機質であり、生き物でもある
である。矛盾するものがここまで多い街というのも珍しい気はする。
1.東京は夢を叶える場所であり、夢を諦める場所である
自分の将来のために上京してチャンスを掴みたいという若者は多いと思う。実際何をするにしてもチャンスが一番転がっている場所だとは思う。しかし、「チャンスがある場所」というのは「なんとかなる場所」ではない。自分が見つけたチャンスというのは大体の場合、他の誰かが諦めたことによって出来た空席である。東京に暖かさがないという意見はよく聞くが、東京が実力主義、成果主義を前提とした世界であるからであろう。チャンスは沢山あるが、同じことを考える人が皆東京に来る以上倍率は高く、故にチャンスを掴めない人も多い。日本で最も実力主義な街である故に、日本で最も夢と現実の乖離した街であるように見える。夢を見て叶えることができる街だが、現実を突き付けられて夢を諦める街でもある。
2.東京には何でもあるが、何もない
だいたいの流行は東京から始まる。お洒落な服に身を包むことだって、流行のスイーツを楽しむことだって東京では簡単なことだ。生きるのに必要なものだって、揃えることは何も難しいことではない。能力さえあれば都心のタワーマンションの最上階で世界最高峰の夜景を独り占めすることだって出来る。「モノ」だけは日本どころか世界でもトップクラスと言えるほど満ちている。しかし、「モノ」が多いからといって満たされるというわけでもない。多すぎるが故に、本当に欲しいものや本当に必要なものが見えなくなってしまう。なまじ情報に満ちている故に、コピーアンドペースト的な楽しさを欲しくもないのに求めてしまう。だから東京は、何でもあるが空っぽな街になってしまう。
3.東京は無機質な生き物
東京は無機質だ。オフィス街は灰色のビルに囲まれ、満員電車はさながら工場のコンベア。いわゆる都心では、人間の生物らしさを感じる瞬間は全くない。その一方で、東京という街は生き物だ。来るもの拒まず、去るもの追わず。このお陰で東京は日々少しずつ変わっていく。久しぶりに来たら街の雰囲気が少し違うなんてよくあることだ。部品を運ぶコンベアに見えた満員電車だって、東京からしたら大事な血管である。東京は大きな、無機質な一匹の生き物だ。
以上が僕の考えた東京の本質だ。
自分がこんな東京が好きなのかを考えると、しばらく考え込んでしまうと思う。
もちろんオフィス街で育ったわけではないが、人生のほとんどをこのような空気の中で暮らしてきたので上のことは当たり前のように思ってしまう。名古屋に進学していなければ違和感に気付くこともなかっただろう。
ただ、好きでなかったら東京に戻るという選択肢はなかっただろう。きっと僕は東京の持つ「流れ」の中でしか生きられない人間なんだろう。
東京での暮らしは自分次第だ。身の振り方一つで耐えがたいものにも、かけがえのないものにもなり得る。東京は異質な場所ではあるが、悪い場所だとは思わない。
東京から離れて3年と少しが経ったが、ようやく東京のことがわかり始めた気がした。
(サムネ用に僕の青春時代の思い出の街、池袋)